このブログのモチベーションについての現時点の出力

やりたいことを、できる範囲でやりました。

140文字のツイートはすぐ書けるのに、こう長い文章は苦手で。
キャッシュが少ないからそんなに精度良く考えてないんだよね、私の頭の中はとってもアバウト。
色んな記事があるけど、どれも書きながら調べまくって試しまくっての連続、結構しんどい。
じゃあなんでブログやってるのかって?禄に儲かりもしないのに?
確かに、禄に儲からない。今は1ヶ月1~2野口くらい。初めは数百円だった。
DTV記事が結構反応良くて。関連用語とかでGoogle検索するとトップページだったり。
特にSEO対策とかしてる訳でもないけど、まあある意味人間性捧げた記事だし。

そもそも3年前に、マイクラを快適にプレイでき且つ低予算でPCが欲しいということからPC自作して。まだ自作PCの記事は下書きだけど。
その頃なんてキーボード打つのも覚束なくて、私がよく使う例えだが「ダウンロードとインストールの違い」すら分かっていない程だったと思う。
まあ、好奇心旺盛なのが裏目に出たところを挙げると、アドウェア入っちゃったり、トロイの木馬に感染したり、グレーやブラックなことをしてしまったり、Twitterアカウントが凍結したりと。
でもお陰で、沢山のことを学んだ。得た。そして得している。
まだ全然だけど、「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけPCのこと知ってる、知ってることだけ。」くらいにはなったのかな。

実はね、2年半前人生のレールから、幹線から脱線しちゃったのさ。
当時は絶望してた。今でも苦しいときあるけど、兎に角悔しかった。
だって動かないんだもん、頭が、身体が。私の指令が効かない、自分なのに。
私は元はインドア派で、絵とか工作とかが好きだった。
成長も遅くて、人より出来ない事が多かった。
しかし、社会に出るとそれだけでは適応できない。必死、というよりは無邪気だった。
色々大変だったけど、何だかんだ多分楽しかった。
「努力」したのかと言われれば、よく分からない。「ストレス」と同様、私には理解出来ない言葉だ。

こういうことはあまり言いたくないが、人より出来る事が多かった。勿論持てないものもあるが。
でも、その「出来る事」ってのは分かりやすいところ、既成概念・ドキュメントになっているパラメータであって、実際は出来ないことだらけだったんだ。
でもこの優越感が忘れられなくて。達成感が忘れられなくて。
向上心の塊である私はばかだ。
私がばかである証明をしてやろう。簡単だ。つい最近まで私がただの人間だと自覚していなかったのだ。
確かに量産型ではないかもしれない、いや違う、量産型になるパラメータが欠落しているだけで、ただの貧弱な高ビットレートの生命体だ。

犬は気づかないだろう、自分が見ている世界が飼い主と違うことを、聴いている世界が飼い主と違うことを。
ましてや同じ人間だとしたら、同じタスクを行うとしたら。
サボっている訳でもない、やっていない訳でもない。その機能が初めから搭載されていないのだ。

最初は病院を色々試した。でも答えはいつも同じ「特に異常はありません」。

:loop
if "%medical_certificate%" == "no_abnormality" (
    echo なんで?
    goto :loop
)
rem exit

私はいつからか、「意味」とやらで行動するようになっていた為、言わずとも分かるだろう。
「何してるんだろう」
「何のために生きてるんだろう」
今更遅いし、私の性質上合わないと思うが、宗教と言うのは大事なんだろうな。
ただ私の持ち合わせたパラメータにより、耐えた。耐えておいてよかった。
「神様はGoogle、我々はユーザ。データを提供する見返りに高ビットレートのコンテンツを無料で利用できる。」
面白い切り抜け方だろう?今は特にこれに頼っている訳ではないが、冗談として重宝している。

ソードアートオンラインというアニメを知っているだろうか。
丁度観たのは病院を転々としている頃だったろうか。
衝撃だった。希望がみなぎると同時に、絶望が押し寄せてきた。
確かに、今となっては当たり前のことだが、当時の私にとっては目から鱗、人生最大の無知の知だった。

で、やっと本題。今どういうモチベでブログやってるのか。
Twitterでは偶に偉そうなことをほざいているが、その一つ。

要するに、少なくとも「私」というパラメータの集合体による現象に対して必要なのは、「自身の感覚を信じて、出来る範囲でフィードバックすること」ってのを根拠となる例を添えて説明している。
噛み砕くと、「私は拘り過ぎるし、頭でっかちになるところがあるし、理屈沼によくハマるので、そんな脳の一部に頼らないで、無意識下の感覚を尊重し利用して、目的の方向に体を向けつつ、出来る範囲のことを土台を固めながら一歩ずつ行えばいいじゃん?自分」となる。
齟齬無く伝えようだなんて思い上がらないってのもそうだね。
知識が煮詰まる前に記事にするってのもそうだよね。
まあ、これらも私の「人間観察」「研究」「理屈」etc. パラメータのお陰だけれども。
だからそれぞれやり方があると思うので、既成概念に囚われず自身の感覚を信じて出来る範囲で楽しんでいこう!という話でした。

何だかんだ、脱線して、遠回りして、ズタボロなのに、でも後悔はしていない。
お陰で得たものは多く、かけがえのない「私」やその周りの「世界」を形成している。
立ち止まってみてもいい、そもそもの目的はなんだったのかと。
目的?意味?それは幻想だよ。本質はただの景色、現象。
あなたにとって一番やりたいゲーム、従ってもいいルール・法則は何?
教育・学びってなんだろうね。鉛筆持って机に向かうことかな?
ルールに沿った試験で人生が決まる?価値が決められる?そんなことはないよ、そんな低ビットレートじゃないよ。
既成概念は間違っていると思うよ。そして固定観念も間違っている。
でも間違ってたっていいじゃない、だってここは中世にスマホが生えた程度の世界観なのだから。

おしまい
つづく